古着をメルカリで転売!?あらゆるネット物販を経験した僕が最終的に古着転売にたどり着くまでの物語
こんにちは!
大阪で古着転売をメインとしたネットビジネスをやっている、Kosukeです。
23才で起業し、現在は
『会社に縛られずに稼ぐ、ワンランク上のライフスタイル』を活動理念のもと、
- 古着転売
- BUYMAアパレル輸入ビジネス
- アマゾン中国輸入ビジネス
- 自社ネットショップ(少し前に閉鎖しました、閉鎖理由は別記事で。)
- 情報発信
- デジタルコンテンツ販売
- 古着転売コンサルティング
などのビジネスを行っております。
俗にいう『パラレルワーカー』というやつです。(ひとつのビジネスや収入源に依存せず、複数の収入源を持つ働き方をしている人のこと)
趣味はお酒とグルメ。
最近では仕事の出先で良い店を見つけると、まだ事務所に戻ってからの仕事が残っているというのにグルメを優先させてしまう病気に陥っています。笑
あと、グルメは1人旅との相性も最高で、自分の知らない場所でお客は常連だらけかもしれないという、外部から中の様子が伺えないお店の恐怖と戦い、勇気を出して1人で足を踏み入れメンタルブロックを破壊するという新しい遊びも手に入れました。(実際のビジネスにもリスクをとるなどの恐怖がつきものになるので、メンタルブロックを破壊する練習としても一石二鳥の素晴らしい遊びと自負しています。笑)
恐怖を乗り越えた先でありつくグルメはいつもより美味しく感じ、新たな出会いもあり充実感満載です。
さて、ここまでの話だと僕が『なんか良さそうな人生』を歩んできているように見えますが、実は僕は今日に至るまでの間、
「本当にこの会社でこのまま人生を終えてもいいのか?」
「人生を変えたい!」
という漠然としたモチベーションはあるものの現状を打破する具体的な方法が分からずに失敗を重ねた結果、
婚約者を失い借金を抱え、ご飯も喉を通らずに睡眠薬がないと眠れない日々が続くという本当に辛い日々を送ってきました。
そんな状況からどうやって今のような人生を送れるようになったのか。
僕が古着転売にたどり着くまでのお話を、これから少ししていきたいと思います。
もくじ
プロフィール
名前:Kosuke (伊藤公亮)
生年月日:1992年6月15日 (AB型のふたご座)
出身地:大阪
在住地:大阪
好きなもの:1人旅、グルメ、山の空気を吸うこと、宇多田ヒカルさんの音楽
高校、大学校時代
高校時代に進路を決める際、僕にはすでに夢があったので迷わず航海士になることのできる静岡の学校へ。
実は1浪しており、予備校へ通うお金も半分は自分で抽出していてすでにこの時点で借金が・・・
ちなみに僕が航海士に憧れたきっかけは映画『タイタニック』を見てこんな大きな豪華客船で働いてみたいと思ったからです。
映画の華やかな面ばかりに目がゆき、ミーハーだった僕は完全に大型客船の虜になってしまうのです。
学校の実習では船で日本一周を行い東京、大阪、神戸、福岡、沖縄、札幌などの都市を中心にその他たくさんの地方都市を転々としていました。
学校は2年制だったのですが、2年生の終盤になると航海士になるための筆記試験、口述試験の勉強に加え、日々の生活のためのアルバイトなど多忙な毎日を過ごします。
アルバイトは家電量販店で派遣社員としてプリンターの販売をしていたのですが営業成績が県内トップになり、
タクシー出勤OK
体調を崩したときの風邪薬も経費扱い
という学生バイトながら破格の厚待遇でした。
これまで部活や学校生活での先輩・後輩という絶対的な年功序列制度しか知らなかった僕が初めて成果主義、実力主義というものに出会った瞬間でした。
個人が頑張れば、努力すれば年齢にかかわらず序列が上になるというのは僕にとっては大きな衝撃でした。
今思えば恐らくこの経験があったからこそ、学歴人脈関係なしに努力さえすれば会社に縛られずに稼ぐことができるというネットビジネスの世界に躊躇なく飛び込むことができたのかもしれません。
サラリーマン時代
無事に航海士の資格をとり、第一志望の会社にも受かり新社会人として華々しい船出に成功しました。
が・・・・・
結論から言います。
3ヶ月で辞めました。笑
せっかく第一志望の会社に受かったのに、なんてもったいないと周囲からはものすごい言われようでした。
なぜ僕がたった3ヶ月で会社を辞めたかというと、タイタニックの華やかなイメージに憧れて航海士になったのですがいざなってみると理想と現実のギャップの激しさに失望し、働く気力を失ったからです。
船会社というのは完全なる年功序列型で、実力はほとんど関係なく先輩の言うことは絶対なのです。
雑用ばかりの日々が続き、理不尽なことで怒られ・・・。
これが今まで僕が憧れていた航海士という職業なのか?
自問自答する日々が続き、ひとつの結論に達します。
就職した会社は第一志望の会社ではありますが、実は大型客船を保有する会社ではなかったのです。
なので大型客船にさえ乗ることができれば、美人の客室乗務員や乗客との出会いにあふれた華やかな職場環境で憧れの『タイタニック』の映画ような人生を送ることができるのではないかと。
しかしまたひとつ、大きな壁が僕の前に立ちふさがります。
航海士は正式名称『海技士』と呼ばれ1~6級までの資格制でした。
基本的に上位の資格になるほど大きな船の航海士を務めることができるのですが当時、僕は4級の資格しか持っておらず、最低でも2級の資格がないと大型客船を保有する会社に転職したとしても航海士として乗組員になることは不可能でした。
もうやるしかない・・・。
学生の頃は頭も悪く、勉強が嫌いで努力をほとんどしてこなかった僕ですがここで大きな決意をします。
有意義な人生を手に入れるため、これからは自己実現のための努力を惜しまない人間になろうと。
僕は勉強時間を確保するため、残業時間が少なく決められた休日のある会社への転職を決断したのでした。
転職後は仕事終わりのビールを封印し、通勤電車では参考書を読み、休日に遊んでいた時間もすべて勉強に充てました。
仕事のある日は家に帰ると疲れて寝てしまうので、直接家には帰らずショッピングモールのフードコートでその日のノルマ分の勉強をしていました。
終電まで勉強することがほとんどだったため、あまりにも疲れすぎて電車で寝てしまい、そのまま聞いたこともない終着駅で目を覚ますなんてこともありました。(ちなみに何回もやらかしてます笑)
僕には仕事終わりにビールを飲む習慣もあったので、それをやめるのは最初はとても苦痛でした。
でもその時間を勉強に充てなければ自分の人生はこのまま終わってしまうという危機感があったので、なんとかやめられたのですが辛いのは最初の数週間だけで依存性のあるものでも強い意志があれば意外とやめられるものなんだなと自分自身で感心したものです。
休日の過ごし方は全て例外なく図書館に引きこもって勉強をしていました。
これだけ勉強できるなら学生のうちからやっておけばと今になって考えたりもしますが、やはり人間は差し迫った危機、苦痛な仕事や職場環境から逃れたいという欲求に突き動かされない限り難しいものだと思います。
努力の甲斐もあり一年後、見事に誰からも認められるような上級の資格を勝ち取り、業界でも最大手の会社へ幹部候補としての転職を成功させ、揺るぎない地位を手に入れました。
完全なる勝ち組人生を歩むことができる、そう思っていました。
しかし安心したのも束の間、そこで待っていたのは絶望的に思えるほどのルーティンワークでした。
今思えばすごく贅沢な悩みなのですが特におもしろくもない仕事を繰り返す日々、そして仕事終わりのお決まりの飲み会。
自己実現のための努力に目覚めた僕にとって、このような時間の使い方で貴重な人生を浪費していくのは本当に耐えられませんでした。
また、当時僕には婚約者がいたのですが乗船中は家へ帰れるわけもなく、海上なので電波も繋がらないため連絡すら取ることができない環境でした。
僕の人生から『大切な人』『大切な時間』、人生で重要なものをすべてを奪われていく感覚。
職場に尊敬できる人間の1人でもいれば少しは変わったのかもしれませんが、この調子で貴重な時間を浪費し、定年までの人生今後40年間を費やす、人生の大半を犠牲にすると考えるとゾッとしました。
そして、目の前に30代の先輩、40代の先輩、50代の先輩がいることによってこれからの自分の人生もこのような感じで進んでいくんだろうなとある程度の予測ができるようになりました。
努力ひとつで自分の人生を自分の力で開拓し、全く新しい景色を見ることができるようになった入社までのこの1年間の軌跡。
自分の人生の先が全く見えない、無限の可能性を感じることができるからこそ努力をすることができた僕でしたが、自分の人生の着地点が完全に見えてしまったことは僕から仕事を頑張る気力を奪い、そして唯一の心の癒しであった大切な人と離れ離れになる環境は生きる意味すら奪っていきました。
どうすれば僕は自分で満足のできる人生を歩むことができるのだろうか?
会社という組織に属する限り、また転職をしたとしても一生同じような悩みで苦しむのではないだろうか?
そんな自問自答を繰り返す日々が何日も続きました。
そんな折、ある日を境に僕の人生は激変するのでした。
起業家への入り口
船会社というのは長期間連続で乗船した後、まとまって休暇をもらえるという仕組みでした。
僕の会社は20日間乗船して10日間の休暇というサイクルでしたが、休暇といっても特に予定はなくいつもフラフラと外に出てはベンチに座ってぼーっとするような過ごし方をしていました。
そんなとある休日、偶然の縁があり人材派遣業や広告代理業を営む社長と知り合う機会がありました。
背が高く、かなりのイケメンで綺麗なスーツがよく似合う方でした。
ふたりきりで少し会話をしたのですが、この時ほど自分の人生で衝撃を受けたことはありませんでした。
話の間の取り方、まとっているオーラ、僕の発言を鵜呑みにして信じるわけでもなく、かといって疑うわけでもなくという完全な中立と論理的な思考に全振りした一切の感情を感じさせない目つき。
一瞬の会話を重ねただけで、次元の違う相手だということが本能的に肌感覚で分かりました。
また、稼ぎに関しても年収1000万円コースを歩んでいる僕はサラリーマンの中では最強の部類で、周囲を見渡してみても僕より良い待遇の同世代と出会うことはほとんど皆無でした。
それが
『会社社長』
『月収200万円以上』
『住まいは大阪一等地のタワーマンション』
これでたった1つしか年齢が違わないときたものですから、これまでに経験したことのないレベルの圧倒的な差を感じてしまいました。
自分がこれまでいかに小さな世界で生きてきたのか、完全なカルチャーショックでした。
雇われではなく、自らがビジネスオーナーとなって成果主義、実力主義の社会で勝ち上がることこそが未だ見たことのない景色を見ることができる唯一の手段だと気づいた僕はまたここで大きな決断をします。
今日までの軌跡、高校生の頃から憧れた航海士という職業、晴れて航海士となった喜びとその後の苦悩の日々。
それからの努力と勝ち取った大手会社への転職の成功、手に入れた地位。
今までの築き上げてきた一貫性のある人生の歩みそれら全てを捨て、まったく新しい働き方で、自分自身の力だけで道を切り拓いていこうと。
この後、すぐに僕は会社に退職届を出したのでした。
そしてすべてを失った・・・
最初、僕はその社長から人材紹介業の下請けの仕事をもらい、ビジネスを開始しました。
自分が代表の屋号入り名刺を手にしたときはすごくテンションが上がったものです。
これまでは完全年功序列社会の中で生きてきたので、有能無能関係なく先輩というだけで全ての指示に従わなければなりませんでしたが、これからは自分がすべての決裁権を握る。
努力一本で大手会社への幹部候補としての転職を勝ち取り、人生の景色を一変させた僕がまた同じように自分の力で人生を切り拓いていくことができる。
そして大切な人とも当たり前のように連絡を取ることができる日常は電波なしの海上で過ごした僕にとって本当に幸せな毎日でした。
しかしそんな幸せも長くは続きませんでした。
最初、自分の仕事だけでは生計を立てることはできず、週6の自分の仕事の他、週5でアルバイトもしていました。
朝は早く、17時までアルバイトをしてその後の時間を自分のビジネスに費やし、終電で帰る毎日。
家に帰れない日も多々あり睡眠時間もほとんど取れず毎日毎日仕事漬けの日々でしたが成功だけを夢見てコツコツと努力を積み重ねてきました。
自分ならできると信じて、一生懸命仕事に没頭しました。
しかし思うように成果が出ずに収入はまったく増えず、また過労から身体も限界に近づいており朝に時間通り起きることができず、遅刻をすることが増えてきました。
勉強は勉強した分に比例して点数も伸びますが、ビジネスの世界ではそうはいきませんでした。
ビジネスの世界で結果を出すにはその人の性格も大きく関係し、自分に向いている業種、向いていない業種というものが存在します。
また、ビジネスは時流(その時代の風潮、傾向)に大きく左右されるため、単純に努力を重ねただけではどうすることもできない場合もあるのです。
そこを当時の僕は理解できておらず、ビジネスの世界も努力すれば勉強と同じように必ず報われるものだと思っていました。
いくら努力しても成果が出ずに精神をすり減らし、ついに身体も限界になりアルバイトも音信不通にして無断欠勤するようになりました。
もう限界でした。
そして僕は自分に仕事をくれた社長に頭を下げに行き、ビジネスを畳むことになります。
また、婚約者と同棲をしていたのですがこんな僕の姿をみて、別れを宣告されます。
当時、僕は23才でしたが婚約者は30才と7つの年齢が離れていました。
女性にとっては結婚を真剣に考えなければならない年齢になっており、焦りも覚える年齢であり。
彼女自身もまた、たくさんの不安の中で僕の姿を懸命に見守ってくれていたのだと思います。
彼女も正社員として働いており、次の日も朝から仕事があるにもかかわらず終電で帰る僕に、寝ていても必ず起きてご飯を作ってくれました。
貧乏な僕がなけなしのお金で買ったスナック菓子を満面の笑みで喜んで受け取ってくれる彼女。
いつも僕のことを応援してくれ、励ましてくれる彼女。
本当に無償の愛ともいうべきものを僕に注いでくれました。
本当にかけがえのない大切な人を失ってしまいました。
サラリーマン時代、僕があまり帰れなかったこともありマンションの名義は彼女にして家を借りていたので別れた当日は帰るあてもなく、
茫然自失となったままフェンスにもたれかかって見上げた深夜の満月の美しさは今でも鮮明に覚えています。
後日、少し落ち着いた頃に別れた婚約者からメールが届きました。
それを読んだ僕は必ずビジネスの世界で成功し、またいつか大切な人ができた時には絶対に幸せにしようと深く心に誓ったのでした。
「私は付き合った当初から同世代の女性がいいんじゃないかと、年齢が離れていることに負い目を感じていました。
結婚も出産も考える歳、でもあなたにはやりたいことがある。
結婚とか子どもで縛ってもいいのか。私はずっと考えてました。
でもそれをあなたにぶつけることもできないのです。押し付けてはいけない。でも、私の人生もある・・・。
私は若いあなたの人生も考え、なんだかんだいちゃもんをつけて別れました。
きっと数年後、いやもう感じてるかもしれないけど、あの時結婚しなくてよかった。と感じる日がくるでしょう。
私はずっとついていく勇気が出なかったのです。
本当は荷物を取りに来たあの日、大好きだとあなたに泣きつこうと思ったけど、きっと同じようなループが続いてあなたを困らせることになるからやめました。」
人生の再出発、ネットビジネスとの出会い
お金も大切な人も家も、何もかも失ってしまいましたがここまでたくさんの大切ものを失うとかえって実感が湧かず、気持ち的にもそこまで苦しくなりませんでした。
会社に雇われずにお金を稼いで生活するにはどんな方法があるんだろうか?
当時、ビジネス関連の知識に関してはあまりにも無知だったため、新たにアルバイトを始めながら図書館に籠る生活が続きました。
様々な種類の本を一日中読み漁っていたのですが、そこで手にした中の一冊がネットビジネスの本だったのです。
ビジネスは事務所が必要で、直接お客様と対面してセールスをすることにより利益が上がるものと思い込んでいた僕にとって小資金、オンライン完結、在庫不要など、目から鱗が落ちるような内容ばかりでした。
なけなしのお金を持って翌日には電気街に足を運び、中古の古いボロPCを購入し本の通り実践する日々が始まります。
最初に目を付けたのはebay輸出でした。
早速アカウントを作り、本の通り実践していきますがビジネスのノウハウを200ページの本に集約するのは無理があるのか、進めていくと分からない事だらけでした。
ebay輸出の本をたくさん読み、ツールの導入や商品リサーチを行いましたが全然うまくいかず、すぐに行き詰まってしまいました。
図書館で本だけの独学では限界があるのか・・・・。
いったどうすれば現状を打開できるのだろうか・・・・。
本だけでは解決できないと判断し、購入したPCを使いネットで情報収集を始めました。
本で得た情報よりも具体的な情報を手に入れることはできましたがビジネス初心者の僕にとって、自分自身の力でその情報をつなぎ合わせて活用し、結果を出すことは困難でした。
今となってはネット物販の本質を理解しているので無料の情報であれ、ある程度の結果を出すことはできますが一部の天才をのぞき一般人が初めから無料の情報で結果を出すことは至難の技だと思います。
そうとも知らず分からない事だらけで悪戦苦闘の日々が続く中、ついに転機が訪れます。
自己投資の重要性
普段ネットビジネスの勉強で閲覧していたブログの管理人から、コンサルティングを期間限定で始めるとのメールが僕のもとに届きます。
コンサルティング費用は60万円だったのですが当時、ラーメンが高級品で手が出ないほどお金がなかった僕は迷います。
この機会を逃してしまうと、つまづいた現状を打開するチャンスは2度と訪れないかもしれない。
でも手元にお金はほとんどない。。。
めちゃくちゃ悩みましたがお金を払って成功までの時間が短縮できるならコンサルティングを受けない選択肢はありえないと判断し、サラリーマン時代に作っていたクレジットカードでの分割払いでコンサルティングを受けることにしました。
まずは何としてでもコンサル費用を回収しなければ借金地獄に陥ってしまうという危機感があったため、コンサルティングが始まるとがむしゃらにビジネスを実践しました。
また、輸出物販は資金力が必要とのことで当時の僕は一文無しだったため、コンサルタントのアドバイスに従い資金の不要な無在庫転売に舵を切ります。
最初は生活費にも困窮していたので倉庫でアルバイトをしながら並行してビジネスも行っていたため、最低でも1日16時間は働いていました。
お金もなく、サラリーマンとしてのキャリアも捨てた僕は後には引けない状況だったため、限界まで自分を追い込んでビジネスの作業をすることができました。
コンサルティングを受けたからと言って最初から順風満帆で結果を出せたのかと言うとそうではなく、最初は一日頑張りまくって日給マイナス1万円ということもありました。
睡眠時間が2時間しかとれない日もあり、フラフラになりながらアルバイトをして退勤後帰りは出先でそのままスタッフさんの面接をスカイプで行ったりと超ハードなスケジュールでした。
睡眠時間を満足にとれていないのでご飯を食べると眠たくなってしまうため、ご飯はマクドナルドのハンバーガー1個だけの日もあったりしました。
そして毎日がむしゃらに頑張り続けた結果、3ヶ月後には月30万円を稼ぐことができるようになりその後順調に40万、50万と利益を伸ばしていき、アルバイトをやめて専業でネットビジネスに没頭できる環境を作ることに成功します。
※梱包済みの発送前商品
※これ以外にもその他まだまだ複数のアカウントと販路で販売しています。
しかし僕は燃え尽きてしまった
僕が作ったネットビジネスの仕組みは自分が携わらなくてもほぼ全てが回るように設計していました。
最終的には顧客対応、商品管理など全てをスタッフに任せて僕は週に1度、銀行に行って売上金を回収することと2週間に1度、価格調整のためのCSVの出力と雑務で3時間程度の作業のみというほとんど不労所得に近いかたちで生計を立てることができるようになっていました。
これまでは本当にぎりぎりの生活で、クレジットカードの支払いが翌月に間に合うかどうかを考えるとストレスで胃がキリキリ痛んだり、過労で目の前が真っ白になったり、フラフラしながら倉庫でアルバイトをしていたためやっと少し落ち着くことができるようになりました。
しかしそれは良いことばかりではありませんでした。
サラリーマンを辞めてからの7ヶ月、短い期間ながら僕の人生はめまぐるしく変わっていきました。
これまで味わったことのない苦悩と喪失、何度転んでも起き上がって自己実現のための努力を重ねた結果、僕は今まで自分が見たこともないような景色を見ることができました。
朝、目覚まし時計で起きなくてもいい。
満員電車に乗らなくてもいい。
暑い日も寒い日も一日中、エアコンの効いた部屋で快適に過ごすことができる。
自分の周囲を見渡してみても同世代で僕のような不労所得の仕組みを完成させ、毎日が自分の好きなように過ごせるような人間なんてもちろん皆無でした。
また、僕は元々航海士として海上で24時間拘束された生活を送っていたため、自由に対する憧れが人一倍強い性格でした。
今まで見たこともない景色と、会社に縛られない自由の両方を得た僕はこれまで無理をし続けた反動もあり結果、一気に力が抜けすべてのやる気をなくしてしまいました。
本来であればこの空いた時間で、また新たなビジネスを展開して収入の柱を増やしたり、既存のビジネスをもっと拡大するための作業に時間を使わなければなりません。
しかし自分を支えてくれた大切な人とも別れ、守りたい笑顔や家庭があるわけでもない状況の僕が自分を鼓舞してさらなる高みへと足を進めることをどうしてもできませんでした。
目的を失ってしまった僕の生活はかなりの苦痛でした。
飲みに行ったり、おしゃべりしたりする相手もいない(ネットビジネスのために日々新しい情報を取り入れ勉強し、実践を繰り返していると人生の経験値的にもかなりの差が開き、周囲と話が合わなくなる。)
稼ぐ気力も湧かない。
なんのために生きればいいのか分からない。
何もしたいことがなく、ただ過ぎてく時間を見つめるだけ。
そんな現状から何とか脱出しようと、僕は他の様々なネットビジネスのコンサルティングも受け、たくさんの種類のネットビジネスを経験していきます。
誰かのために
稼いだお金を自己投資のためのコンサルティングに注ぎ込んだ僕は
中国輸入、韓国輸入、バイマ、自社ネットショップ、古着転売、国内無在庫転売などたくさんのネット物販ビジネスを経験しました。
その中には詐欺塾などもあり、ひどい目にも遭いましたが何とか現状を打破しようと模索する日々の中、ついにひとつの変化が訪れます。
配送会社に関しては僕はヤマト運輸さんと契約をしており、毎日担当者が集荷に来てくれることになっているのですがその担当者と毎日話すうちに徐々に打ち解け、仲良くなっていきました。
そして僕のビジネスにも興味を持ってくれた担当者も同じように副業で物販ビジネスを開始しました。
その方が実践していたのは国内せどりという物販で、僕とは少し異なる種類のものなのですがネット物販ということで根底は同じであり、
販路も僕が経験しているアマゾンということもあり、アドバイスできることも多かったのです。
ある日、その方からトラブルが起こったと相談をされ僕は自分が経験したことのあるトラブルだったので解決策を提示し、そして今後同様のトラブルに対しさらに効率的に対応する方法も同時にアドバイスをしました。
その方は目から鱗のような表情で、「そんな良い方法がありましたか!」と感動してくれ、早速アドバイス通り実践してくれました。
僕のこれまで築き上げてきたネットビジネスの経験がはじめて人の役に立った瞬間でした。
その時に思いました。
『あ、僕の生きる道はこれかも知れない。』
その後もプライベートの連絡先を交換してノウハウ的なことだけではなく、成功するためのマインドセットに関するアドバイスもたくさん行った結果、ついにその方は脱サラに成功し会社に縛られない自由なライフスタイルを手に入れることができました。
僕のこれまでの経験は人の人生を変えることができる。
僕は明確に、”この人のために”という働き方にシフトすることで再度活力が生まれ、自分もまた生きる意味を感じられるようになりました。
そして、
現状を打破する具体的な方法が分からないという副業や脱サラに興味のある方へ向けて、人生を好転させるきっかけを作るために
『会社に縛られずに稼ぐワンランク上のライフスタイル』をテーマに発信活動を開始し現在に至ります。
会社に縛られずに稼ぐ、ワンランク上のライフスタイル
今現在の僕は輸入転売、国内転売、古着転売などのあらゆる物販ビジネスで経験値を積んだおかげで、あなたの現在の資金力、性格、職業、趣味などのライフスタイルを聞いただけで、バイマ、アマゾン、メルカリ、ヤフオク、自社ネットショップなど、どのようなプラットフォームでどのような物販ビジネスに取り組むのが最も成功しやすいかをある程度見極めることができます。
僕のようにたくさんの失敗をして経験値を積んだからこそ、あなたに最短最速で成功してもらえる、最適なビジネスプランを選定できるわけです。
このネットビジネスの業界で僕ほど、あらゆる物販ビジネスに取り組んでいる人も珍しいかと思います。
このブログでは
『最短最速』
『小資金』
にフォーカスをあて、ネットビジネス初心者の方や他の物販で価格競争に疲れた方、ゆくゆくは僕と同じように会社を辞めて自分自身のスキルで食べていきたい方に、今もっともオススメできる
『古着転売』
についてを中心に解説していきたいと思っています。
のちのちは僕と同じような道も用意すべく、情報発信に関してもブログ内で解説していく予定です。
なぜ古着転売は最短最速で結果が出せるのか?
なぜ小資金でも結果が出せるのか?
仕入れ価格は?
仕入れ場所は?
どういった顧客層に販売すべき?
などの疑問に関しても他の記事やメルマガで随時解説していますのでそちらをご覧ください。
正直、全物販の中でも古着転売だけは利益率が異常に高く、実売履歴を見せるとびっくりすると思います。
僕は過去、現状の自分の人生に不満があり、
「本当にこの会社でこのまま人生を終えてもいいのか?」
「人生を変えたい!」
という漠然としたモチベーションはあるものの現状を打破する具体的な方法が分からずに失敗を重ねた結果、大切な人を失い借金を抱え、ご飯も喉を通らずに睡眠薬がないと眠れない日々が続くという本当に辛い日々を送ってきました。
僕のブログを読んでくださり、稼ぐための行動を始めたあなたには僕のような失敗をせずに成功を掴み取ってほしいと、心の底からそう思っています。
そんなあなたに僕が最適なビジネスプランを立て、ネットビジネスという舞台でお金を稼ぎ、会社に縛られない自由な人生を一緒に掴むことがきればいいなと思っています。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました!